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沿革


昭和23年9月20日、戦後の苦しい日々の混乱期の中から視覚障害者が主となり、鹿児島市に三療(はり、きゅう、マッサージ師)総合の組織を立ち上げ活動を開始しました。田村行孝氏を初代会長とした「鹿児島市鍼灸あんまマッサージ師会」の誕生でした。昭和22年9月に療術や骨つぎ、そして、あんま・はり・きゅうは、非科学的であるという理由で禁止されようとしましたが、60数日間にも及ぶ存続運動の結果営業法が施行され、あんま・はり・きゅうは禁止せずという最中での船出でした。

昭和26年4月には鹿児島市鍼灸あんまマッサージ師会を基礎として鹿児島県鍼灸あんまマッサージ師会が結成され、また、昭和47年6月には鹿児島市保険鍼灸師会(はり、きゅう施設利用券)が設立されました。

昭和56年にはその県鍼師会が社団法人となり、鹿児島市は鹿児島支部会となりました。その後、昭和62年より鹿児島市技能功労者表彰被表彰候補者の推薦が始まり、平成3年よりはり・きゅう・マッサージ資格試験は、同国家試験と呼ばれることになりました。

平成17年4月には鹿児島市と5町の合併により、旧喜入支部が鹿児島支部に編入されました

平成22年4月には鹿児島県鍼灸マッサージ師会が社団法人から公益社団法人へ移行しました。それに伴い名称を鹿児島支部会から「鹿児島市鍼灸マッサージ師会」と改名しました。平成27年5月には一般社団に移行しました。
 
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